東京地方裁判所八王子支部 昭和33年(ワ)370号 判決 1960年2月24日
事実
原告岸角次郎は、被告村川産業株式会社が昭和三十三年三月三十一日訴外株式会社原清商店(以下訴外会社と称する)に宛て振り出した額面金五十八万九千二百円の約束手形一通の所持人であるが、支払期日に支払場所に右手形を呈示したところその支払を拒絶されたので、原告は被告に対し右手形金及びこれに対する完済までの利息の支払を求めると述べ、被告の抗弁に対しては、訴外会社は、訴外原清に対し手形の支払を保証するために裏書を求めてその旨の承認を得たものであり、原清に裏書譲渡したものではない。仮りにそうでないとしても、訴外会社は個人会社であつて、代表取締役たる原清が事実上個人経営するものであり、その行為の一切は、あらかじめ他の取締役の承認を得ているから、訴外会社の場合は無効ではない。仮りにそうでないとしても、原告は本件手形の善意取得者であるから、被告の主張は失当である、と主張した。
被告村川産業株式会社は抗弁として、本件手形の第一裏書は、訴外会社代表取締役原清が白地式裏書をなし、第二裏書は原清が白地式裏書をしており、原清は訴外会社代表者原清個人であることは一見して明らかである。第一裏書の被裏書人として原清は記載されていないが、右裏書自体から原清が裏書譲渡を受けたとみるべきは当然である。しかるに、手形の裏書行為が法律行為であることはもち論、会社と取締役との取引であるから、商法第二百六十五条により取締役会の承認を要するところ、右裏書譲渡につき、取締役会の承認は得られていないから、右行為は無効である。このことは原告も十分承知しているから、原告は悪意の取得者である。そうでないとしても、その取得につき重大な過失がある。けだし、会社から取締役に手形が譲渡されたことは一見して明らかであるから、この種手形の取引をなす者は、譲渡につき取締役会の承認があつたかどうかにつき一応調査すべきは当然である。よつて原告は、本件手形上の権利を有しないから、被告に対する請求は失当であると主張した。
理由
被告村川産業株式会社が訴外株式会社原清商店を受取人として、額面金五十八万九千二百円、支払場所株式会社日本相互銀行八王子支店との約束手形一通を右訴外会社に対し振り出したこと、原告は訴外金沢太郎より白地式裏書により右手形を譲り受けてこれを所持すること、原告は支払期日に支払場所において手形を呈示して支払を求めたが、支払を拒絶されたことは、何れも当事者間に争いがない。
ところで、本件手形の第一裏書欄には訴外会社名義の白地式裏書と認めるべき記載があり、第二裏書欄には、抹消された、外観上明らかに訴外原清名義の白地式裏書と認めるべき記載があり、第三裏書欄には訴外金沢太郎名義の白地式裏書と認めるべき記載があり、第四裏書欄には原告名義の白地式裏書と認めるべき記載があることが明らかである。およそ裏書の連続については、手形の外観から形式的に判断すべきものであり、また、抹消された裏書は何人が抹消したかを問わず、裏書の連続の関係においては記載がないものとみなすべきものである。のみならず、最後の裏書が白地式であつて、所持人が裏書人そのものである場合に、その裏書が抹消されていなくても、裏書の連続に欠けるところはないというべきである。よつて原告は、裏書の連続により、本件手形の適法な所持人と推定される。
次に被告は、本件手形は、受取人たる訴外会社が、訴外会社代表取締役たる原清個人に白地式裏書により譲渡したものであるが、商法第二百六十五条による取締役会の承認を得ていないから右裏書譲渡は無効であるとし、原告は右手形の真の権利者ではない旨主張するので判断するのに、証拠によれば、訴外原清は右裏書譲渡がなされた当時訴外会社の代表取締役であるが、被告が訴外会社に振り出した本件手形につき訴外会社は原清個人に白地式裏書により譲渡し、原清個人は金沢太郎に白地式裏書により譲渡し、金沢太郎は原告に白地式裏書により譲渡したことが認められるから、原清が訴外会社から本件手形の譲渡を受けた行為は、商法第二百六十五条にいう取締役が会社と取引をした場合に該当するというべく、証拠によれば、これについては取締役会の承認がなかつたことが認められるから、商法第二百六十五条に違反し、右譲渡は無効であるといわなければならない。原告は、同条に該る場合、もし会社に損害が生じたときは、会社は該取締役に対し損害賠償を求めうるに過ぎず、無効とはならない旨主張するが、右見解は採用しない。被告は、訴外会社は代表取締役たる原清が事実上経営し、その行為一切はあらかじめ他の取締役の承認を得ているから無効ではない旨主張するが、商法第二百六十五条の規定は、取締役会が特定の取引につき利害を考量して承認を与える趣旨に基くものであるから、取引のいかんにかかわらず、あらかじめ取締役の行為一切につき一般に承認を与えるようなことは同条の趣旨に反し、これをもつて適法の承認とはなしがたいのみならず、前記行為につき取締役会があらかじめ承認を与えたことが認められないこと前記のとおりであるから、原告の右主張は採用できない。
そこで、原告がかかる事実を知りながら本件手形を取得したかどうかについて考えるのに、原告本人尋問の結果によれば、原告が右事実を知りながら本件手形を取得したとは認められず、原告の手形取得当時における悪意は、これを認めるに足る証拠はない。被告はさらに、右手形取得に当り原告に重大な過失がある旨主張するが、次の理由により、原告にそのような重大な過失があるとも認め難い。すなわち、本件手形の第一裏書欄には、訴外会社(代表取締役原清)名義の白地式裏書の記載があり、第二裏書欄には原清の白地式裏書の記載があるから、原告が本件手形を取得するに当り本件手形につき訴外会社と代表取締役たる原清との間に裏書譲渡行為があつたことは容易に知り得るところであるけれども、このような場合、取締役会の承認は手形面上またはその符箋に記載を要する事項ではないから、裏書譲渡が取締役会の承認を欠くため無効であることは手形自体により明白なものとはいい難いのみならず、会社取締役は法令または定款の規定に従いその職務を執行すべきものであるから、右裏書譲渡がなされた以上は、これにつき適法に取締役会の承認を得たものと思料するのが普通の状態であつて、右取締役会の承認の有無を疑わせるような格別の事情もない場合にまで、一般に手形取得者が取締役会の承認の有無について調査すべき義務を負担するものではないというべきである。従つて、原告が右取得当時、前記取締役会の承認がないことを知らなかつたことを以て、原告に重大な過失があるということはできない。
してみると、原告は本件手形の取得当時悪意または重大な過失がないこと明らかであるから、原告が本件手形の真の権利者ではない旨の被告の主張は採用できず、本件手形の振出人たる被告は本件手形の権利者である原告に対し、前記事由をもつて本件手形債務の履行を拒むことはできないものというべきである。
よつて原告の本訴請求は正当であるとしてこれを認容した。